1月の末で30歳になった。
このブログをはじめたのは2006年で、それから10年経ったことになる。私が初めてインターネットとつながったのは小学生の頃で、その頃自分で手打ちのHP作っていた頃だ。そんなことしてると友人に知られたら「オタク」だとシリアスに思われた時代だった。11時からのテレホーダイを寒い部屋で待っていた頃のことをいまだに覚えている。
聞きたい曲はレコード屋にいって必死に探してた時代だったからyoutubeの出現はリアルタイムでも驚きだったし、あれからSNSの形はかなり変わった。今じゃもう誰もが手の中にインターネットを持ち歩いて誰かとすぐにつながって、食べたものや出来事にいいねしたり❤️を送っている。一通りのインターネットサービスをやってきた身としては、インターネットがそばにありすぎてinstagramもTwittarも乗り遅れた感は否めない。一部のヒップな人達がいい感じに使って、いい感じにお金にしていく。

30歳になったら何かが大きく変わるわけではなかったけど(あたりまえだ)でも私の心境の変化はすさまじかった。誕生日会が1月の末から3月の頭まで続いたことで「私は30歳なのだ」という認識はわりとうまくいったけど、心がついてこなかった。いやだいやだとベッドから出て来ない子供みたいにまだ20代にしがみついている。焦燥感、ってやつだ。言葉は便利だ。ラベルがつくことで急に安心する。私が酔っ払って泣いてわめくのは「情緒不安定」。私が30歳になって急にやきもきしだしたのは「焦燥感」。でも言葉やラベル付けしたって、どうにもできない心の中のもやもやは晴れない。そんな日々が続いて、気づいたら3月中旬だ。

「何者」かになりたくてあがきながら、でもどうにも進んでいかない現実に、もやもやしてた。だって子供の頃は30歳になったら絶対に何者かになってると思ってたから。でも少し大人になったとおもう。心の持ちようでどうにでも考えられると学んだから。「持っていないもの以外全て持っている」仏教の教え。
哲学的な。私には家族も友人も恋人も仕事もある。それはとても幸せなことだと。これ以上何が必要なのだと。友人と野毛の串揚げ屋でウーロン茶を飲みながら語る。私たちはとても強欲だ、と。

何者かになるのはやめた。着飾るのもやめた。笑って、美味しいものを食べる。好きな人に好きという。やらなきゃいけないことを後回しにしない。誠実になる。美しい魂は美しい精神に宿る。32歳までに免許をとって、四駆を買う。やりたいことを、やる。



そんなこんなでネットの形はかなり変わったけど、私のネットへのアプローチは小学生の頃から変わらず。ものすごいフォロワーがいるわけでも、インフルエンサーになることもなく、ただひたすら自分の精神整理のために文章を打ち込み続けるのです。