記録/ アッシュとの。

先日、 飼っていた犬が息を引き取った。彼女はもう目を覚ますことがない長い長い夢の中だ。一家族の、一ペットが死んだ話。動物を飼っていたらいつかは直面しなくてはならない、よくある話。でも私にとってアッシュは言葉のない静かで、それでいて強い結びつきを感じる事ができたはじめての動物だった。

犬を飼う事での責任感なんて芽生えなかった。去年ですら彼女が皮膚病で病院に行かなくちゃいけない状況で自分の予定を優先させたぐらいだ。そのあと母にこっぴどく怒られたけど。

小学生ではじめて家にきた犬、名前は私たち家族の頭文字Hをフランス語読みしたものと、毛が灰色だったことからアッシュと付けられた。記憶が確かなら母親がつけた、なかなかのセンスだ。端正な顔立ちの、頭がいい、誰にすりよることもしないクールな番犬。その数年後、呼べばすぐにくる愛くるしいトッティが家族に加わる。ロールカーテンにおしっこをしたり、ゴミ箱をひっくりかえしたり、噛まれたりするたびに怒ったけど彼女たちがいたことで私たち家族がどんなに穏やかな気持ちになれたことか。

りんごが好物で、匂いや音がすると急に背筋がのびたり、散歩中に他の犬を見つけると自分より大きな犬にも吠えてかかった。中学生の頃、好きな人と夜遅くに外で話せたのも彼女と一緒だったからだ。寒い中、アッシュを抱きながら好きな人と話していた時を思い出す。そんな秘密の共有だってした。
私が小学生から30歳になる間に彼女はゆっくりと赤ちゃんからおばあちゃんになっていった。私だけが若いままで、彼女は1年に4歳年を重ねて着実に老いていった。

もう走り回ることもせず、1日の大半を眠りに費やしていた。もちろん病気がちだったし、手術も入院もした。死にそうだったこともある。それでも生きながらえて、強い子です、と医者から言われれば今年もきちんと季節を超えていくのだろう、ずっとそこにいるのだろうと思っていた。

母からアッシュが死んだとメールをもらったとき。不思議とお疲れ様でした、と思った。
全うした、19年間という短く、長すぎる人生を。

いまはいないことをあまり実感できず、それでももう暖かいあの灰色の毛並みや端正な顔や細い足に触れることができないのは、とてもつらい。日々の忙しさにひっぱられて、いつしかいないことが当たり前になるからその前にたくさん泣いて、記録しておく。

トッティとアッシュがいなくなって、家のなかが静かになると思いきや、姉に子供が生まれたから変わらずに騒がしく、幸せに満ち満ちしている。

全うされた命と、新しい命、それから自分の。