loop junktionのクラシック。というか、ほとんどの曲が名曲。山仁くんのラップはドキっとする。

書くこともこれといってない、平坦な毎日である。こないだ一人で新代田のFEVERにPSGのライブを見に行った。一番後ろ、ふわふわといくつも揺れる後ろ頭の陰の奥、PSGが歌う。かみさまはいない、ってそのHOOKが帰りもずっとループしてる。無性に絵が描きたくなった。最近またHIPHOPを聞いてる。やっぱり好きだな。あと加藤ミリヤのベスト盤は買うと思う。宇多田ヒカルaikoと私の中の3大歌姫だから。
くじけそうになる時はいつも岡崎京子のまんがの主人公を思い浮かべる。そうすると凛と居れる。ハルナやるみちゃんは強くてかっこよくて女子だ。私は相変わらず泣いてばっかだが。母に手紙を書いた。書きたい事はたくさんあったけど、どうにもまとまらない文章だった。いつまでたっても私は母親の前では自分の事を自分の言葉で話せないのだろう。でも、それでも、私は理解されたい。母親に納得してほしい。分かり合いたい。それから、自分の育て方が悪かったなんて、そんなふうにもう思わないでほしい。これは無理な話なのかもしれないけど。まともとか普通とか人並みとか、それって私にとっては割と難しい問題だった。別に自分が異端とかそういうのじゃなくて、外れた道をきてしまったなと思う。失敗作。母親から逃げたのは私だ。家族って大事だと四半世紀漂ってきてでた答え。長い時間を要した。悲しみとか寂しさとか怒りとか裏切りとか、そういう寄り道をたくさんした。別にそんなに紆余曲折しなくても自分と自分の家族を大切にできる子はたくさんいる。何が違ったのだろう。私にとって家族は宇宙で世界で社会で愛で、それからあらゆる感情である。言葉は追いつかない。あんなに素敵でおしゃれな母親も、いろんな事を知っている寡黙な父親も、誰よりも大好きなやさしい姉も、私の家族であることに間違いはないのだ。友人は25をすぎてからでもできるのだろうか。わからない。私は人を愛したい。ずっとずっと。愛して愛されて理解されぶつかり溶け合いたい。その過程を感じたい。それはどんなに幸せなのかと思う。友達、いない。家族とは離れていて、恋人はいるけどまだ薄い。でも、愛したい人たちはたくさんいる。LIKEよりもずっとずっとLOVEに近い感覚で。だから会いにいく、話をする、笑いあう。私と繋がってくれてありがとう、本当にそう思ってる。ふかんで見る自分はまだ腐ってはない事だけが救いだ。だって、愛とか運命とか親友が欲しいとか、言えるし。なんて、なんつー中2な日記なんだ。25歳。ずっと変わらない。夏だ。蝉はまだ鳴かない。